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管理人が考える試験の意味
こんばんは。
本試験が終わってかれこれ一週間以上たちました
人それぞれ色々な心境ですごしていると思います
そして試験が終われば宅建試験に限らず全ての試験でそうなのですが必ず合格者が居て、不合格者が居ます
さて、ここで今日の題材ですが、合格者と不合格者の違いって何なのでしょう?
自分的には、それは早くその資格がもらえるか、そうでないかであると思うわけです
そもそも自分がその試験の合格を目指したのは合格の先に自分の未来があると思ったから挑んだのだと思うのです
そして合格したらその後はこうしたい、ああしたい等と考えたり、この試験の合格が自分の中で何かを変えるきっかけになるんじゃないかと思ったりして合格目指して頑張るわけですよね
そして、合格すればああしたい、こうしたい、きっかけになるかもという答えが出るのですが、不合格とはその先にある、こうしたい、ああしたい、きっかけになるかもと言う未来が先に延びたと言うことです
でもそれが不合格だとしても大きく落胆することでしょうか?
自分はそんなことで落胆する必要はないと思います
なぜか?
話は少し飛びますがこんな話を聞いてください
昔から親に虐待されてとても辛い人生を経験した人がいました
彼は親からの虐待がどれほど辛く、悲しいものかを身をもって経験していましたのでその痛みを受けている人を見ると自分の事のように涙を流し同情しました
そして、幼くして唯一自分を守ってくれるはずの両親から虐待を受け心に深い傷を負う子供たちを見て彼はどんなに自分が辛い思いをし、お金がなくなり、身体がボロボロになったとしても、その境遇の子供たちを救いたい、そして自分のような経験をす子供たちが居なくなるように自分の人生を捧げたいと考えました
その為に彼は一生懸命働きました
そのお金はもちろん虐待されている子供たちを救うための資金としてためる為です
休日は道で、公園で虐待の悲惨さや悲しさ、辛さを訴えました。
周りの人はボロボロの服でダサい髪型の彼を見て笑ったり、陰で気持ち悪いなどと陰口をたたいたりしました
でも中には彼の言葉を聴き、彼の行動を見て感化された人も居ました
さて、この話はここで終わりにしますが彼は今後、この行動をやめると思いますか?
それとも続けると思いますか?
そして、自分ならどちらを選んだほうがかっこいいと思いますか?
そして自分ならどうありたいと思いますか?
自分は人に陰口をたたかれ、変人扱いされても行動を続ける人間でありたいと思います
そして、そう考えて生きているうちはその努力の日々は永遠と続きます
自分は常にどんな状況でも一生懸命に生き続けて死んでいきたいと思っています
そして、その頑張る場所や地位、立場は段々と変わっていきます。
そう、、彼が行動を続けて感化されていく人が増えていけば彼の立場も変わっていきます
それでもし有名になって本などを出して売れたりしたらお金持ちになるかも知れないし、尊敬の眼差しで見られるかも知れません
でも彼の目的はそんな所にはありません
目的は親からの虐待を受けている子供たちを助けることです
なので虐待が根絶するまで彼の努力は永遠に続きます
これは彼のような大きな志でなくても同じだと思います
自分は将来こうなりたい
その為にこの試験に合格する
その為に自分が毎日全力で自分の成し遂げたい事に全力を尽くし続ける
それは合格後も続くわけです
なので試験に受かる前も受かったあとも自分の人生の歩いている場所が前か後ろかという違いでしかないと思うんです
だから道を進むことが大切なのであって、合格がいつ手に入るかは問題でないと思うのです
だから大きく落胆する必要はないのだと思うんです
自分は今は仕事をしながら司法書士受験生として自分の出来うる限りで頑張っていますが、合格すれば司法書士として同じくらい、またはそれ以上に頑張ります
何が言いたいかと言うと、今こうしてやっている自分は、一本の人生の道上の現時点の位置でしかないし、早く歩けば早く着くし、遅く歩けば遅く着く。
ただそれだけの事です
そして、そのペースが速いか遅いかは問題ではなく、自分が進みたいペースで進みたい道を進み続ける事が大切なことだと思うんです
話は少し飛びますが「今年落ちたら諦める!!」と言う意気込みで試験に挑んで落ちた人がいました
彼はその試験を諦めましたが、そんな彼を見て自分は「この人は何のために宅建の試験合格を目指したのだろう?」と思いました
自分を変えたい、自信を手に入れたい、宅建主任者として働きたい、何かを変えるきっかけになるかもしれない
そう思うから合格を目指すのではないのでしょうか?
それなのに不合格で諦めて何が得られるというのでしょうか?
遅くても良い、効率が悪くても良い、毎日の日々の中で自分が出来うる限りの努力と自分なりに考えた計画で一生懸命に自分の道を進めばいいんです
合格はその道の途中の通過点でしかないのです
もし、自分の道の途中で宅建試験は必要ないし、急遽予定を変更して宅建の勉強をする事がマイナスになるというなら止めても良いとは思いますが、不合格より合格したほうが良いと感じたなら止めるべきではないと思います
なぜなら、辛さや恐怖に立ち向かわないと合格は出来ないし、そうして努力を重ねて手に入れるからこそ意味があるのだと思うからです
逃げて得られるものより、不器用でも挑戦して勝ち取る方がきっと得られるものも大きいはずです
それなので今が辛くて止めよう等と考えているならその人は大した人間にはならないと思います
それは自分にも言えることです
こんな偉そうに語るのはある意味では自分に対しての戒めでもあります
こうやって偉そうに語るならお前はやっているのか?という声に対して自分はこれくらい頑張っていると胸を張って答えられる自分でありたいと思うのです
環境も能力も違うのは当然ですが、大切なのは自分がこうしたいと思う道を自分の進みたいペースで進むことが大切なんじゃないかという話でしたがあなたはどう考えますか?
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